4、心の病を治す諸要素
脳に必要な物質セロトニン
心の健康に必要な脳内物質はたくさんあります。これらを作っているのはもちろん食事によって得ることができる栄養です。
たとえば、脳内物質で代表的なセロトニンという脳内神経伝達物質があります。このホルモンは重要で、うつなどの気分障害や不安障害、パニック障害などを改善するために脳に必要な物質です。
しかし栄養を取らなければセロトニンを作ることができません。セロトニンというサプリメントを作って飲んでも、脳内で作られたセロトニンしか脳の血管は受け付けません。したがって、セロトニンの前駆体であるトリプトファンというアミノ酸を食事から供給するしかないのです。
脳内でセロトニンを作るにはトリプトファンとビタミンB6 と日光が必要です。
家の中に引きこもっての生活は日光が不足しますので栄養は取っていてもセロトニンが十分に作られず、不足する可能性があります(第5章、P214参照)。
セロトニンが不足すると、やる気も起きず気分も優れないし前向きの思考ができなくなります。それが心の病気をより加速させるのです。
セロトニン神経は脳全体に広がっています。脳内のどの部位のセロトニンが不足しているかによって異なる病気として現れるのです。
たとえば、大脳基底核の線条体で不足すると、強迫神経症が発症するといわれています。また、脳には神経の調子を整えるサイクルがあります。神経シグナルが、前頭葉→線条体→黒質・淡蒼球→視床→前頭葉の順に流れるサイクルの活動が活発になりすぎ、視床が興奮しすぎて強迫神経症が発生するといわれています。
運動がつくる神経栄養因子が心を回復させる
後章で詳しく述べますが、早く心の病から自分を解放させたければ、体を動かすことです。もちろん、抑うつ状態のときジョッキングを勧められても出来るものではありません。また、心の病にかかっているときは、運動する気分になれないのが当然です。できないと分かって勧めるわけではありません。
私は強制はしませんが、心理療法や“無意識”に働きかける催眠療法で、運動が出来るような気分に切り替えてから、実践してもらっています。
早く治すためには、運動によって作られるBDNF(神経栄養因子)が、ストレスで破壊された脳の神経細胞を回復してくれるからです。脳内物質を栄養や運動や睡眠によって、理想的に補給し脳内環境を健康的に保つことが、心のトラブルを発生させないために、また、治す為に重要なことなのです。
さまざまな心の原理を理解することが先決
「私は催眠に入れるだろうか・・・」「うまく催眠に入れなかったらどうしよう・・・」と心配される方がいます。これは、催眠に入って自分が変われば楽になれるという期待からでしょう。自分がしっかり変わるためには、ちゃんと催眠に入れないといけないと考えられているのでしょう。しかしそうではないのです。これには詳しい説明が必要となります。
たしかに、苦しんでいる心が催眠ですぐに変えられたら、楽になれると思われるでしょう。しかし、人間の心というものは、そう簡単には変われないのです。心の病が起きる原理と同じで、一時しのぎではなく根本から心を楽にするためには、原理にそった手続きが必要であるということです。
それは「意識の領域」の修正のための心理療法であり、「無意識の領域」の修正のための催眠療法なのです。
誤解をうまないように言及しますが、催眠療法だけでは十分に心を治せない、楽にできないと言っているのではありません。催眠で一時的に心を楽にすることは可能でしょう。しかし、心の病が発症する原理を考えたらわかるように、完全に治すには、これまで行われてきた催眠術の暗示だけでは不十分ということです。
人はなぜ、心の病になるのか、なぜストレスで苦しむのかというさまざまな心の原理をわかっていただければ誤解が解消し、催眠の本当の価値を理解していただけると考えます。人の心というものは、催眠に入ることで一時的に変わることは可能でしょう。しかし、洗脳のように人格を変えてしまっても、心の問題は解決しないのです。
自分の無意識を見つめ直すことから
催眠療法で自分を変えるということは、環境への適応の仕方を改善し、これまでより最適な価値観で生きていくために、無意識的情動を制御するということなのです。そのためには、このような人生上の大きな問題を、催眠術による暗示だけで簡単に変えることができるとしたら、人間の尊厳にも関わる問題が絡んでくることでしょう。
人は成長過程で、自我というものを形成していきますが、この自我がある限り、催眠によって簡単に洗脳することはできないのです(長期にわたり拘束すれば可能です)。
人間は良くも悪くも、自我というものが守ってくれています。それゆえに、一時的な変化を起こしても、長期に持続することはできないのです。長期の変化を作り出すためには、正しい理論のもとに、それなりの手順を踏まなければならないのです。その正しい理論と原理を、この本で理解していただければ幸いです。
あなたがあせる気持ちはわかります。今、精神的に苦しんでいたり、何らかの症状に苦しめられたりしていたら、今すぐ、どうにかしてほしいという気持ちになるものです。しかし、これまで説明してきましたように、人の心というものは、脳という臓器が絡んで作り出されています。脳の中には、これまでの人生の経験と学習に応じた自我がしっかりと形成されています。
これらの一部を修正して過去の自我と統合させ、現在やこれからの環境にうまく適応できる新たな自己形成が必要になります。このような作業によって、心は苦しみを乗り越え症状も解消していくのです。
このような一連の作業に必要な催眠状態(トランス)には、誰もが入っていけます。自分は催眠に入れるかどうかを悩む必要はないのです。それより、心理療法の進行にそって、静かに自分の無意識の心を見つめ直していくことで心(脳)の修正が達成され、苦悩や症状から解放されていきます。こうして、心の病からあなたは解放され、新たな未来が開けるのです。
この本の中で事例として説明されている内容に、母親と子供との関係を多く取り上げています。しかしながら、父親には責任がなく、母親の子育てにおける問題点のみを指摘し、母親だけを責めているわけではありません。
また、男女間の事例の中でも、男性側に立った内容だと受け取られるような見方もできるかもしれませんが、相談件数的に多い事例を優先して取り上げたまでのことですので、女性側のみを批判的に分析しているわけではありません。一つの事例における心の分析だと理解して、読み進めてください。
さまざまな親子間の問題で、親子の関係がどうあるべきかという模範はありません(特に母親と子供との関係は、哺乳類全般において本能に支配された感情が働きます)。
母親がわが子に対して、例外は別として、故意に苦しめるような行為を取るはずがなく、母親としては精いっぱい子供と関わるなかで、互いの気持ちが見えないまま、子供の要求が満たされないで、子供の心を苦しめていたとしたら・・・・・・。もちろん母親には罪はないのですが、子供からすれば、自分が何らかの心の病で苦痛を背負うようになったとき、母親に救いを求めながらも母親を責めてしまうのです。直接、母親に抗議できない子供は、その不満の感情を内にため込むことで、心の病を発症したときの症状がそうでなかった人とは違ってきます。
当然ながら、父親の影響で、子供が傷つくことも多くあります。父親の責任も大きいのです。しかしながら、特別な場合を除いて、子供は母親に助けを求め、本能的に愛と甘えを要求します。父親からの愛情が有る無しにかかわらず、母親への要求が満たされなければ、母子間のトラウマになっていきます。幼児期に父親からどのように関わってもらったかによって、その子の人生に影響が出るのは当然のことですが、母親との関係のほうが大きいのです。
子供が生まれ持った性格的傾向の個人差によって、本能的には母親の愛情を求めた結果のトラウマを、理解して頂きたいと願っています。そして、そのようにして形成されたトラウマは、子供の立場に立って心を癒さなければ解消しないのです。理性的な視点での、親の立場や心情の説明だけでは役に立たないのです。
それでは、また違った視点から、”心”の説明に入っていきます。
これから脳と心の病に関する説明を読み進まれるとき、脳の各名称が専門的でどの部分を指すかよくわからなくても気にせずに読みすすんでください。「脳のある部位がこういった反応を起こし、こういった結果を生んでいるのだな」と漠然と理解される程度で十分だと考えています。もちろん関心がある方は、専門書で学んでみてください。
ここで序章は終わります。
この先、第1章からは、ぜひ購読していただきたいと思います。
次ページには【付 録】を掲載しておきます。
「心の病は治せる」ー脳科学と催眠療法ー
著者:井手無動 出版社:本の泉社